どうも、ダイスケです。

今日は、心配というテーマで記事を書いていきます。多くの人の心のなかには、何らかの心配の種があり、その対象に対して悪いことが起きるのではないかと想像しています。

しかし、それは心配ではなく単なる妄想であり、杞憂に終わることがほとんどなのです。「心配事の9割は起こらない」という書籍にも書かれている通り、我々は余計な悩みを抱えたり、他人の価値観や考え方に振り回されないように注意しなければなりません。

心配と妄想は紙一重であり、寝る前にベッドの中などで、悶々と悪い事態を想定しているのは、心配ではなく単なる妄想です。先日、以下の記事において、「考える」と「妄想」の違いについて説明しましたが、「心配」という行為においても、心配の対象を明らかにし、その原因について紙に書き出して分析しているときは、妄想ではありません。

しかし、単に頭の中で、様々な悪い事態を想定しているのは、「考える」という行為ではないので、時間のむだであり、本気で解決策を見つけようとはしていません。ただし、何かを行うときに「心配する」という行為は必要であり、それがあるからこそ転ばぬ先の杖となる方法や準備を予め考ええておくことができるのです。

心配と妄想は紙一重であり、心配は生産的な思考ですが、妄想は非生産的であり、時間の無駄です。